【INTERVIEW】プロデューサーChris Priceが語る、Emitt Rhodes復活ストーリー
Chris Price Interview
昨年春に第一報をお届けしていたEmitt Rhodes氏、43年ぶりのフルアルバム「Rainbow Ends」がついに完成! 来年2月26日にOmnivore Recordingsからリリースされます。現在、クラウドファンディングサイト Pledge musicでプレオーダー実施中(出資額によって特典いろいろ。Roger Joseph Manning Jr. とJason Falknerのサイン入りBellybutton なんてのもあります)。
こちらはPledge musicのキャンペーン用につくられたビデオ。Emittさんの明るい表情が随所に見られます。
現時点で公開されているのは、アルバムのオープニングナンバー「Dog on a Chain」とファーストシングル「Isn't It So」。「Dog on a Chain」はJon Brionさんがギターで参加、「Isn't It So」のギターソロはJason Falknerさんによるものです。
さて、今回アカデミーがお届けするのは、このアルバムをプロデュースしたChris Priceさんへの独占メールインタビュー。ポップミュージックの奇跡と言っても過言ではないEmitt復活劇の裏側を誰よりもよく知るChrisさんの貴重な証言、ぜひお読みください(和訳のあとに、原文も掲載)。
<質問1>
あなたが本作をプロデュースすることになったいきさつを教えてください
僕がEmittと会ったのは2006年のこと。ある女性がMyspaceに彼と知り合いだと書いていたので、彼女にメッセーを送ったんだ。「どうかEmittと引き合わせてください。僕のファーストアルバムのプロデュースをお願いしたいんです」って。当時僕は兄弟と共にロスアンジェルスに来たばかりで、僕らのバンド(Price)はちょうどゲフィンレコードと契約を交わした直後だった。電話で彼女と話したところ、後日彼女が地元からこちらへ来る予定があるので、Emittを交えて一緒に食事をしようってことになった。
その後何ヶ月も彼女からの連絡はなかったんだけど、ある日彼女から“Emittのことが心配だ”って電話がかかってきた。彼女は2ヶ月間ずっと彼と連絡をとろうとしたけど、彼は電話に出ないし、折り返しの電話もなかったそうだ。Emittは糖尿病で、ここ数年は健康上の不安も抱えていたから、彼女は最悪の事態を恐れていたんだね。でも彼女、LAには頼み事のできる知り合いがいなかったらしく、僕に彼の自宅の住所を託し、無事かどうか見て来てくれないかって言ってきた。
僕は、一度も会ったことのない、しかも僕のヒーローの一人である男の無事を確かめるため、一度も行ったことのない家へと足を運んだ。シリアルボウルを手に玄関に姿を現した彼は「お前、何者だ?」と言った。「あなたの友だちが僕にここの住所を教え、あなたの様子を見て来てほしいと言ったんです。あ、彼女は僕らみんなで食事をする計画を立ててくれていたんですよ」「僕はぜひあなたに音楽の話がしたいんです。もしよろしければ、僕のCDを置いていきますので、聴いていただけませんか?」と僕は言った。すると彼は答えた。「いいとも、聴いてみよう。気に入ったら電話する。気に入らなければ、俺からの電話はない」 彼の家を離れ、車に乗って家に向かっていたところ、10分かそこらで彼から電話があった。「お前の音楽が気に入った。一週間後に遊びに来い」だってさ!
僕らはようやく共に時を過ごすようになったが、Emittは決して音楽について語りたがらなかった。彼は長年にわたって彼の身に起こったあらゆることを嘆かわしく思っていたようだし、自分のキャリアについても一切考えたくなかったみたい。だから、こちらもことさら尋ねもしなかった。僕はそうやって時々彼を訪ね、一緒にランチをとりながら、世の中で起こっているあらゆることについて話した。ときには僕が制作中の音楽を彼に聴かせ、彼がそれを批評してくれることもあった。
そんな友人関係が7年以上続いたある日、彼の家に行くと、彼はいくつもの茶封筒をその場に広げ、ギターを弾いていたんだ。それぞれの封筒の中には“曲”が入ってた。コード譜、歌詞が書かれた何枚かのシート……なかにはデモテープが入ってる封筒もあった。封筒の数は全部で20ほど。彼は何の前触れもなく、これまで秘密裏につくってきたすべての曲を僕と分かち合うことにしたんだ。彼の新作「Rainbow Ends」に収録される11曲のうちの7曲は、このとき聴かせてもらった曲だよ。
この出来事に、僕は抗いがたいほど感情を揺さぶられた。彼のファンとしても、友人としてもね。ファンとしてみれば、僕は自分のヒーローの再浮上を最前列で見ていたわけで、しかもどの曲も本当に素晴らしかった。友人という立場で言うと、二人の間についに真の信頼と互いへの尊敬の念が芽生えたことを実感できた気がした。だって彼は、それまで一人で大切にしていた作品を僕と分かち合あおうとし、これまでしたことがないようなやり方で僕と打ち解けてくれたんだから。
それらの曲を聴いたあと、僕はレコーディング実現の手伝いをさせてほしいと頼んだ。僕は彼の家の裏にあるスタジオを修復して、かつてと同じようにレコーディングしようともちかけた。最初は気乗りしなかったようだった。っていうか、スタジオに入ろうともしなかった。きっと辛い思い出がよみがえったんだろうね。僕には、彼が新作づくりに挑もうとしてたのかどうかもわからなかった。でも、友人として、絶対にそれをやり抜こうと決心してた。
何度も懇願したのち、よくやく彼はスタジオに入って掃除することに同意してくれた。僕らは何十年も使われていなかった機材に積もったホコリを払い、スイッチを入れてみた。かなりの機材がちゃんと動いたよ。うまくことが運び出したので、僕はEmittにレコーディングがスムーズに進むようなバンドを僕につくらせてくれないかと頼んだ。そして僕は自分の友だちだけでなく、面識のない大物アーティストも呼び集め始めた。そこから先の話は、次の質問への答えにつながるね。
<質問2>
メンバーは誰が集めたのでしょう? Jon Brionが参加することになったいきさつは?
メンバーを集めたのは僕さ。まずは手始めに、一緒に作品づくりをしたことのある人たちに声をかけた。Taylor LockeとJoe SeidersはTaylor Locke & The Roughsでバンド仲間だったから、既にいい関係ができていた。Fernando Perdomoとは、僕らがマイアミビーチの高校に通ってた頃から旧知の仲なんだ。
Jason FalknerとRoger Joseph Manning Jr. には、今回のアルバム制作まで会ったことがなかった。僕は彼ら二人の作品の熱狂的なファンで、共通の知り合いもたくさんいたので、遅かれ早かれ出会う運命にあったんだろうけど、Emitt Rhodesの新作のためっていうのは何より絶好の機会だったよね。僕が参加をお願いした人はみんな、Emittの復帰をサポートできることがこの上なくうれしい、と快諾してくれた。
そして僕は、更なる大物に参加を呼びかけた。接触したのはAimee Mann、BanglesのSusanna Hoffs、Jon Brion、WilcoのNels ClineとPat Sansone、Brian Wilson バンドのProbyn GregoryとNelson Bragg、そして何度もストリングスアレンジをお願いしているKaitlin Wolfberg。
Jon Brionは、アルバムのオープニング曲「Dog On A Chain」のソロとサイドギターを弾いてくれた。彼とはSusanna Hoffsを介して会ったんだ。二人とも、Largoで定期的に演奏してるからね。何度か話し合いをして、ようやく彼から参加の約束をとりつけたんだけど、ひとたびオーケーしてからの彼の仕事はむちゃくちゃ早かったよ。僕がトラックを送ると、彼は自分のスタジオでギターパートを演奏して送り返してくれた。彼のパートは、このアルバムで唯一、僕もEmittもレコーディングに立ち会っていないものだったので、ちょっと心配していたんだけど、彼が送ってくれたトラックを聴いて、その心配は吹き飛んだ。素晴らしかったよ! まるで、他のメンバーと同じ空間で一緒に録音したような音だったのさ!
あぁ、ここで言っておかなくちゃね。Emittと僕とJasonとRogerとTaylorとFernando とJoeからなる中核バンドによる、アルバム全体のレコーディングは2日間で完了したんだ。その後は、ヴォーカルやスペシャルゲストによる演奏を重ねていった。
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Dec 5, 2015